西福寺の大般若経
石田町の西福寺には、延宝5年(1677年)に京都宇治黄葉山万福寺の僧侶であった鉄眼和尚が作った版本大般若経(黄葉版一切経ともよばれる)があります。
西福寺へ持ち込まれたのは明治3年(1766年)10月のことで、当時の西福寺六世大賢和尚が万福寺より600巻を取り寄せ奉納したものです。
その後、西福寺は明治7年の旧暦7月17日に火災に遭い全焼し、そのとき209巻の大般若経も消失しています。言い伝えではこのとき近くに住む山本兵十氏が火中に飛び込み、3箱のうち2箱を運び出したとされています。その2箱に納められていた391巻が現存しています。
かつて、西福寺では、「お経さん」と呼ばれる行事が正月6日より14日の松の内にかけて行われていたそうです。
この行事では、経本を持った和尚様一行が各檀家の家々をくまなくまわり、荒神様の前で大般若経を転読され、家中の一人一人がが経本を頭で拝受し、除災招福を願ったとされています。その当時は、和尚様一行の姿や音が聞こえると「お経さんの来おらす(来ている。みえている)、鳴りおらす、餅焼け、茶沸かせ、燗つけろ」といって家中の人に合図したそうです。
現在ではこの「お経さん」の行事はなくなつていますが、正月の3日の節参りの時にお寺で行われているということです。
ちなみに、この西福寺の大般若経は昭和53年3月31日に石田町の指定文化財になっていrます。
[大般若経]: 中国の唐の時代に、『西遊記』で有名な玄奘三蔵法師がインドから仏典、経典を持ち帰り、3年11ヶ月の歳月をかけて、西暦663年10月23日に中国語の翻訳を完成させたとされています。
日本に伝えられたのは、約40年後の7世紀の末頃で、大宝三年(703)3月には大安寺、薬師寺、元興寺、弘福寺で『大般若経』が読まれたという記録が続日本書紀にあります。


